”かにの日”🦀おめでとう。   


 

 

 

今週のオンラインズンバOn-Line Zumbaが、今日から始まります。


 

 

 

1週間ごとに更新していきますが、それもまた新鮮です。


 

 

 

毎回15人から18人ですけど楽しいでーす。


 


At Home🏠のマレーシア、ペナンで楽しく生きている弾みです。


 

 

 


 

 

 


 

 

 


りす

りす




楽しんだよね。汗💦もいっぱい掻くけど、パソコンの画面を見ながら目と頭を使って、体全体で踊るんです。💃🕺💃



 

 

 

感謝感謝です。お散歩で歩くリズムRhythmもズンバ調なんです。


 

 

 


ちょこちゃん

ちょこちゃん




なんで なんでと思いながら、足が勝手にステップを踏んでるんです。🤣😂😂😁😄



 

 

 

そんな時、目👀に入るお花もさらに美しく見えるのです。👍👍👌


 

 

 

パープルの色が映えます。


 

 

 


 

 

 

吸い込まれそうな白です。


 

 

 


 

 

 


 

 

 

肌だけが🌤日焼けするのが「玉の瑕」ですけどね。


 

 

 

6/21のマレーシアの新規新型コロナウィルス感染者数で4,611名す。(日本では868名↓)


 

 

 


 

 

 

ペナンは84名です。


 

 

 

観音崎ユースホステルに関するこんな記事を見つけました。


 

 

 

2016年3月の観音崎YHの様子が書かれたブログはこちら。


 

 

 

観音崎灯台


 

 

 

読まれたことありますか?


 

 

 

書かれたのは世界で活躍されている 作家 佐藤優さんです。


 

 

 

観音崎YHの最後の宿泊「ペア兄のお別れお泊り会」にも参加されていたんです。


 

 

 

2015.10.02  旅の醍醐味   佐藤 優
「今年(2015年)の夏、家族と神奈川県横須賀市にある観音崎に泊まりがけで出かけた。私の旅の歴史が観音崎とともに始まるからだ。
中学校一年生のとき、父から「優君も一人で旅をする訓練をした方がいい」と言われた。それまでも京都、兵庫、沖縄などの親戚の家に、夏休みや冬休みを利用して一人で出かけたことは何回かあった。しかし、「親戚を頼るのではなく、自分の力で旅をすることが重要だ。そうだ。ユースホステルを使うといい」と言って、日本ユースホステル協会の会員証を準備してくれた。
当時、私はユースホステルがどういうものかという知識がまったくなかった。父からも、ユースホステルを使って旅をしたという話を聞いたことはない。なぜ、父がユースホステルを思いついたのかは謎だ。おそらく、父が勤めていた銀行で若い人たちがときどきユースホステルを使っているという話を聞き、息子にも経験させたいと考えたのだろう。
当時のユースホステルは、事前に往復ハガキで予約することが原則だった。父とユースホステルハンドブックを研究して、第一回目は観音崎のユースホステルに泊まることにした。私の記憶では、11月下旬のかなり肌寒い日だった。ユースホステルはロッジのような造りで、寝室は男女別のかいこ棚(二段ベッド)だった。
夕食が地元の魚と野菜を使った豪華な内容で驚いたのをおぼえている。夜は暖炉の前でミーティングがあり、自己紹介をするとともに、小説や旅行の話をみんなでしていた。翌朝は早くから海岸に出て、暖炉の燃料となる流木を拾う。掃除も各人に割り振られた。
ユースホステルには、ペアレントと呼ばれる支配人がいる。観音崎ユースホステルのペアレントは、「ペア兄(にい)」と自称して本名を名乗らなかった。私の父をはじめ、年上の人も全員「君づけ」で呼ぶ。「ペア兄」はリーダーシップのある人で、若い学生や青年に社会人としての礼儀や常識を教えていた。
父は「ここでの生活は、旧陸軍の内務班によく似ている。おそらく旧軍の関係者が、陸軍の教育を民主主義的にアレンジしたのだろう。ユースホステルを使って旅をすれば、見聞が広まるだけでなく、社会常識が身につく」と言っていた。
その後、伊豆大島、穂高、北海道など、ユースホステルを使ってあちこち旅行した。しかし、大多数のユースホステルは民宿の延長といった感じで、観音崎ユースホステルだけがユニークだった。大晦日から正月にかけては、徹夜でパーティーが行われた。
私が高校二年生のとき、観音崎ユースホステルは閉鎖された。「ペア兄」が家庭の事情で九州の実家に帰ることになったからだ。最後に泊まり込みで「ペア兄」のお別れ会をした。そのときに「ペア兄」の名字が安藤で、もともと九州の電電公社社員だったが、ユースホステル運動に共鳴して転職したという話を知った。観音崎ユースホステルで「ペア兄」の教育を受けて社会性を身につけた若者がたくさんいたと思う。こういう人たちがあちこちにいたので、日本の社会は強かったのだろう。
今夏、観音崎ユースホステルの跡地に行った。建物のあった場所は更地になっていたが、その前にある公衆洗面所だけは以前と同じで、水道の蛇口の形だけが新しくなっていた。」



Webから引用


 

メリカの可愛い娘たち。